不足する「ムスリム霊園」 日本で暮らすイスラム教徒の“永眠の地”はどこに

    火葬が主流の日本では、イスラム教徒が遺体を土葬できる墓地は限られている。

    最期のときは、誰にでも訪れる。

    だが、日本で暮らすイスラム教徒には、安心して「死」を迎えることができない時期があった。火葬が許されず、土葬を必要とする彼らを、死後に受け入れてくれる「墓地」が不足していたからだ。


    甲府盆地を見下ろす小高い山の中腹に立つ曹洞宗の寺「文殊院」(山梨県甲州市塩山)。さわやかな風が吹くこの場所に、日本でも数えるほどしかない「ムスリム霊園」の一つがある。

    寺の墓地の奥にある坂道を登っていくと、深い緑の木々の中に、棚田のように広がるもう一つの「霊園」が現れる。

    小石が敷き詰められ、大きな墓石や塔婆が立ち並ぶ仏教の墓とは違い、平らにならされた土の上には草が茂り、野花が根をはる。

    ところどころに漢字やカタカナ、アラビア文字で名前が綴られた墓標がなければ、敷石で区切られた一つひとつの区画に故人が横たわっているとは、気づかないかもしれない。

    「子どもの頃は、林の中に見慣れない形の墓石が並んでいる様子を不思議に思っていたこともありました」。文殊院の現住職・古屋和彦さんは、BuzzFeed Newsの取材にそう語る。

    霊園を管理している日本ムスリム協会の「創立50周年記念小史」によると、協会の創立メンバーが文殊院の先代住職にムスリム霊園建設への協力を求めたのは、今から55年前。イスラム教に理解があり、以前から協会との交流が深かった先代住職は、すぐに寺の土地を分け与えることを決めたという。

    「とにかく土葬できる墓がない、と、彼らが困っていたということですよね。いますぐ埋葬できる場所を見つけなければ、家族や同胞たちの遺体がどんどん腐ってしまう。彼らにはそんな切迫感があったと聞いています」と、先代住職である父の跡を継いだ古屋さんは言う。

    現在日本国内には、推計約11万人のイスラム教徒が暮らしているとされる。そのうち、約1万人が日本人ムスリム、約10万人が海外出身だと言われている。

    イスラム教では火葬が許されておらず、死後はなるべく早く体を清めて、土葬するようコーランに書かれている。そのため、火葬が主流の日本では埋葬できる場所が限られ、現在でも「ムスリム霊園」は北海道、静岡、茨城などの数カ所にしかない。文殊院の霊園は、その先駆けとなった。

    なぜ、仏教のお寺が異教徒の埋葬を受け入れたのか。古屋さんは、父が繰り返していた言葉を記憶している。

    「父はイスラム教徒について話すとき、『同じ神さんを信じている人たちだから。アラーという神さんは私の思っている神さんとおそらく一緒だから』と言っていたのをよく覚えています。そして、『どんな宗教であっても、信仰している姿は崇高だ』とも繰り返していました」

    だが、当初は年に2、3人の埋葬しかなかったものが、1990年代半ばから母国に遺体を送ることができない外国人を中心に希望者が増え、年間10〜20人のペースに。

    「これ以上増えると霊園だけでは許容しきれなくなる」と、2000年には寺の檀家が眠る仏教徒の墓の一部も、イスラム教徒に分けることになった。

    こうして文殊院の墓地にはいま、約140人のイスラム教徒が仏教徒と隣り合わせに眠る。

    檀家からの反発はなく、イスラム教徒も選択できるような状況になかったと古屋さんは言う。

    「埋葬を希望するムスリムの方に『異教徒のお供え物が風で飛ばされてくることもありますよ』と説明しようとしても、最後まで聞いている余裕のあるような人はいませんでした。それだけ切羽詰まっている、助けてほしいという思いが強いのだと感じました」


    主に海外出身のイスラム教徒の埋葬を請け負っている日本イスラーム文化センター(東京都豊島区)には、特に苦い記憶がある。

    2008年から2010年にかけて、新しいムスリム霊園建設のために栃木県足利市に土地を確保したものの、地元住民の反発にあって計画が頓挫したのだ。

    「完成すれば、山の中の広い土地に約300体を埋葬できるはずでした。何度も市役所に足を運んで説明会も開きましたが、反対の旗やのぼりが立てられて、ついに私たちも諦めた。自分の土地に知らない人が遺体を運んでくるのはいやだ、自分の家の近くに異教徒の墓ができるのはいやだということでしょう」

    センターのシディキ・アキール会長は、当時の経緯をそう振り返る。

    当時の朝日新聞によると、市の担当課には600人を超える住民から建設反対の嘆願書が届き、「建設を許可するためには地元の理解が不可欠」とセンターに伝えていた。

    アキール会長らはその後も土地を探し歩き、2013年8月にようやく茨城県常総市にある三福寺の谷和原御廟霊園の協力を得て、墓地を確保した。約1700平方メートルの土地に約450体を埋葬することができ、「この先、あと20年は大丈夫」と会長は言う。

    20年という時間は長いだろうか、短いだろうか。会長は、将来的には各地に霊園が増え、埋葬や墓参りの負担を軽減することができれば、と考えている。

    「理想としては、各都道府県に一つくらいは霊園があればと考えています。イスラムでは仏教のようなお墓参りの習慣はありませんが、それでも、家の近くに家族が眠っていていつでも会えることを望むのは、人間の心じゃないですか」

    「だから、もう少しお互いの文化を知り、尊重し、理解が進めばと願っています。私たちはみんな同じ人間ですから」


    日本ムスリム協会理事の樋口美作さんも、イスラム教の弔いについてこう語る。

    「コーランには、現世を罪深く過ごした人間は地獄の炎で焼かれると書かれています。だからイスラム教徒にとって遺体を焼く火葬は、地獄のイメージとも重なる苦しみであるとも言えます」

    「土葬と言うと、人の体が腐っていく様子を連想して不気味がる人もいるかもしれませんが、生きているものは全て等しく腐るんですよ。イスラムでは、土葬された死者は土の中にゆったりと横たわって最後の審判を待つ。人は土から作られ、土へ帰っていくんです」

    樋口さんは1965年にエジプト政府留学生としてカイロへ渡った際に入信。以来、まだ日本で暮らすイスラム教徒が少なかった時代から、半世紀以上にわたって日本人ムスリムとして生きてきた。

    自身の最期については、「もう家内に話してあるんですよ」と明かす。

    「まず、臨終のときにはコーランを読んで、顔はメッカの方に向けてほしいとお願いしてあります。それから、医者にムスリムであるという事情を話して埋葬許可をもらったら、友人や知人を呼んで遺体をモスクへ運んでもらう。そこで体を清め、3枚の木綿の白い布に包んだら、そのまま棺に入れて墓地へ運んでほしい、と」

    眠る場所は、文殊院のあの霊園だ。一つの区画に妻と共に埋葬される予定だと言う。死は、怖くない。

    「80年も生きていれば、もう十分ですよ。私たちは神によって与えられた寿命で死ぬ。ムスリムにとって、死は『人生の終着駅』であると同時に、『来世への始発駅』でもあるんです」