プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
新品:
¥1,362¥1,362 税込
ポイント: 14pt
(1%)
無料お届け日:
3月31日 日曜日
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
中古品: ¥222

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
表現者クライテリオン 2018年09号[雑誌] 雑誌 – 2018/8/16
購入オプションとあわせ買い
大衆の不合理な感情におもねった「ポピュリズム」の帰結として語られるのが一般的だ。
もちろん、それは一面の真実である。しかし一方で、「グローバリズム」や
「各国の国柄を無視した過剰な知性主義」に基づく諸改革の横行に辟易した庶民による、
理性的・合理的な「社会的防衛」としての側面を持つこともまた真実であると思われる。
絶望感が日増しに拡大するこの世界において、今、あえて「ポピュリズム」に含まれる肯定的側面を
拾い上げる態度こそが求められているのではないか。
『表現者クライテリオン』2018年9月号では、そうしたポピュリズムの「可能性」を多面的に探るべく、
特集「ポピュリズム肯定論——『トランプ・英EU離脱』現象とは何だったのか」を企画した。
また、特集の他にも連載・寄稿・書評・読者投稿などを多数掲載。
(詳しくは下記の情報のほか、『表現者クライテリオン』オフィシャルHPをご参照ください。)
〔特集〕
小浜逸郎・藤井聡・柴山桂太・浜崎洋介 「庶民からの反逆——市場から社会を防衛するのは誰か」(座談会)
呉智英 「稗史小説と知識人」
薬師院仁志 「ポピュリズムの原点と変質——今求められる原点回帰」
佐藤健志 「ポピュリズム・オブ・ザ・デッド」
施光恒 「自由民主主義諸国の危機への警鐘——『ポピュリズム』を真摯に捉えよ」
黒宮一太 「グローバリズムに掻き消された『国民』の声」
藤本龍児 「リベラル・デモクラシーのディレンマとポピュリズム——ポピュリズムに寄生される保守」
川端祐一郎 「庶民とエリートを隔てる『文化の壁』」
〔連載〕
藤井聡 「『災害』を忘れた国家は、滅びる他なし」
堤未果 「農業ビジネスという世界戦争」
野中郁次郎 「戦略の基盤は、本質直観と物語りだ」
伊藤貫 「リアリスト外交の賢人たち:ドゴールの思想と行動 パートⅢ」
浜崎洋介 「大正教養主義の蹉跌」
柴山桂太 「あらためて『理性の限界』を問う」
松原隆一郎 「奇跡の断絶――阿佐ヶ谷住宅」
竹村公太郎 「日本のアイデンティティ、京都」
大石久和 「歴史と時間の認識に潜む危機」
富岡幸一郎 「オウム真理教と村上春樹(上)」
浜崎洋介・藤井聡・柴山桂太・川端祐一郎 「対米従属文学論:『戦後的日常』への頽落——『第三の新人』をめぐって」(座談会)
ほか10編
〔その他〕
書評、読者投稿 など
よく一緒に購入されている商品
![表現者クライテリオン 2018年09号[雑誌]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/A18qL5oU1ML._AC_UL116_SR116,116_.jpg)
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
登録情報
- ASIN : B07FVFQ7L2
- 出版社 : 啓文社書房 (2018/8/16)
- 発売日 : 2018/8/16
- 言語 : 日本語
- Amazon 売れ筋ランキング: - 786位人文・社会・政治の雑誌
- カスタマーレビュー:
著者について

藤井 聡(ふじい さとし)京都大学(大学院工学研究科・都市社会工学専攻)教授 1968年奈良県生まれ。
91年京都大学卒業、93年京都大学大学院修了後、93年同大学助手、98年スウェーデン・イエテボリ大学客員研究員,02年京都大学助教授、03年東京工業大学助教授、06同大学教授を経て,09年より現職。
専門は土木工学(土木計画学)、交通工学,ならびに,公共問題のための心理学.
受賞歴は、
『社会的ジレンマ研究』で03年土木学会論文賞,07年文部科学大臣表彰・若手科学者賞、10年日本学術振興会賞。
『認知的意思決定研究』で05年日本行動計量学会優秀賞(林知己夫賞)。
『村上春樹に見る近代日本のクロニクル』にて06年表現者奨励賞。
『交通政策論』で08年米谷・佐々木賞。
『モビリティ・マネジメント入門』にて08年交通図書賞。
『交通需要予測研究』で98年土木学会論文奨励賞。
『コミュニティに関する進化心理学研究』で09年社会心理学会奨励論文賞。
詳しくは、
http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/tba/index.php/fujiilab/fujii.html
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
他方、アメリカはアメリカ・ファーストのトランプ大統領誕生、イギリスはEU離脱と経験主義者アングロ・サクソンは逆の選択を採った。
グローバリズムを推進した、リベラル・デモクラシーなるものは底が浅いのである。
そもそも、グローバリズムなるものは、欧米の投資銀行が地球規模で投資し回収するための方便であった。
日本では、各界各層がそこまで深く考えず支持している。
タックス・ヘイブンと表裏一体である事に眼を向ければ、その胡散臭さは一目瞭然だろうに。
トランプ大統領は、米中プロレス関係に終止符を金融街に与せず対中国制裁に踏み切った。
自称共産主義者たちの落日が始まった。
一帯一路もその限界が見えて来た。マレーシアのマハティールは婉曲に断りを入れた。
グローバリズムとは、金融資本の都合でありリベラル・デモクラシーを信奉する左翼からリベラルまでが利用された「幻」である。そして、中国の落日が時代の転換点となるだろう。
また、それはデフレ脱却の効果的戦略と成り得る。
財務省を始めとする高級官僚・経済学者・メディア関係者・財界人は揃って反省するが良い。
それは、理念に流れた知的怠慢であるからである。
グローバリズムとは、緊縮財政と相俟って構造的に一部の富裕層と大多数の低所得者に分かれる。
P188に<世界>を変える一枚のグラフがある。
緊縮財政が破壊した国内製造業である。日本と米国の比較であるが米国は右肩上がりであるが、日本は1997年を境に緩やかに落ち始めている。
このグラフは、それを如実に示している。
最後に「ポピュリズム」という言葉については、民主的過程を通じて自分の好む結果が生じた場合は「民主主義」と言いその逆の場合は「ポピュリズム」だと貶す。
それは、エリート層等の声の大きい主流派の人々と、声が代表され難い庶民の政治意識にズレや分断が生じているためだろう。浮動的ものだから物差しに使うのは如何なものかと思うが、クライテリオンは執筆者が多士済々で面白くなってきた。
「ナショナリズム」特集もそうだったのですが、よくもわるくも抽象的なテーマが掲げられていたため、読む側にはある程度の気合が必要でした。(気合を入れて読むととても勉強になるので批判ではありません)
しかし今回は、トランプ大統領やイギリスのEU脱退といった時事問題に焦点をあてて、その背景にある世界の構造変化をあぶり出すというような内容。
このぐらい具体的な内容だと、読者としては話についていきやすくなります。
グローバリズムが進展した結果、各国の「ふつうの人々」の賃金が下がるなどして暮らしにくくなり、その怒りが世界中で爆発している。しかし日本の政治家やジャーナリストはそのことを理解しておらず、「悪しきポピュリズム」とレッテルを貼っている……そんな感じの特集です。
ブレグジットなどをしっかり扱っている雑誌はあまり見かけないので、とても貴重なのではないでしょうか。
また、巻頭近くで堤未果氏が登場していたのは驚きました。世界の農業がいかにアメリカの大企業に支配されつつあるか、そして日本が(世界的にみても稀なレベルで)いかに無警戒であるか、というか積極的に日本の「食料安全保障」をアメリカの営利企業に譲り渡そうとしているかについての、コンパクトにまとまった紹介になっており、参考になります。
あと、前回もそうでしたが伊藤貫氏の「ド・ゴール」論は必読だと思います。今回は核兵器についての考え方です。
アメリカは「核の傘」で同盟国を守ると言っているが、同盟国が核攻撃を受けたあとにアメリカが代わりに反撃したら、アメリカに核ミサイルが飛んでくるのだから、そんなリスクをおかして同盟国を守るわけがないじゃないか、と。……言われてみれば当たり前の話ですが、だとすれば日米安保っていったい何なんでしょうかね。
編集委員会を通していないと明言された富岡幸一郎の『信仰と盟約—四月五日以降の西部邁再論—』と、編集委員会を通したであろう佐藤健志の『保守主義者が自殺する条件』が掲載されました。富岡の原稿は素晴らしく、佐藤の原稿には重大な問題がありました。
問題となる佐藤の記述をあらためて引用しておきましょう。
弟子に雑誌を引き継がせながら、それを意図的につぶそうとしたのです。
思想以前に、人間としてのモラルが破綻していると批判されても仕方ないんじゃありませんかね?
<今号のあらすじ>
前号の佐藤の意見に対し、本号で誰か公式に意見(同意、異論、反論など)を表明するかどうかが焦点になります。結果的に、「投稿 読者からの手紙」を含め、誰も何も反応しませんでした。もはやこの『表現者クライテリオン』は、前身誌の『発言者』や『表現者』の理念を踏みにじったものになってしまったと見なし得るでしょう。
よって、
「危機」と対峙する保守思想誌
改め、
「危機」と対峙しない保身思想誌
が見事に誕生しました。
めでたし、めでたし。
関連して、いきなりワタクシゴトになりますが、先日、嫁と「家を建てる」ことについて話をしていたとき、「自分の家は自分の手で建てるぐらいやらないと健全なナショナリズムは生まれない」というなかなか突飛な結論・合意に至りました。家庭でのおそまつな議論ですが、この結論に至るまでのおおよその流れはつぎのような感じでした(確か…)。
歴史や環境などあらゆる「全体」の中で一個の「生き物」として生き抜くためには全体の一部であることを感じながらも(感じるというかそれは所与の条件ですが)、自主独立の「生きる力」をもたざるを得ない。ところが現代は「生きる力」をすっかり手放すこと、外部化することでなりたっている。外部化することが文明化とか進化と結びついてしまっていたり、外部化する過程・方法の中にビジネスの素地があったりする。生きる上での「リスクの外部化」と言ってもいい。そんなわけで「生きる力」は衰えまくり、リスクは外部化しまくり、(リスクの語源は勇気をもって試みる、なので)、勇気をもった選択や行為は人頼み、というどこかの国のようになってしまっている。だから、「生きる力」を取り戻し、自主独立を確保するために、衣食住という生きる上での最低限の要素ぐらいこの手に取り戻す必要がある。いや、最低限というが、本来は衣食住を生み・維持し続ける営為こそが生きることそのものなのであり、生に向き合う真っ当なあり方なのだ。だから家は自分たちの手で建てよう。(ナショナリズムへのつながりは上記の流れに散見されるので割愛します。)
というわけで、ポピュリズムが社会的防衛として作用するために必要な健全なナショナリズムの形成を企図するためにも、まずは自分で家を建てる(セルフビルド)「覚悟」を新たにしたのでした(覚悟については、本号の「あらためて理性の限界を問う/柴山桂太」が勉強になります!)。ワタクシゴトで申し訳ございません。。。